【ヨガ哲学×ヒューマンデザインシステム】”遊びが仕事”はまさにリラの世界

遊び心で実践してみ?ヒューマンデザインシステム

こんにちは、ヨガインストラクターYasueです。

 

私のレッスンでは古代から伝わるヨガの叡智を使って

現代の生活を豊かに、心身ともに健やかに過ごすためのお手伝いをさせて頂いています。

 

一言で”ヨガの叡智”と言っても

解剖学、美容、哲学、チャクラシステムなど幅広い分野があります。

その中でも私の専門はヨガ哲学やチャクラシステムの部分です。

 

そんなヨガの中の怪しい部門(?)の中からw

今回はヨガ哲学:「リラ」をという言葉を

ヒューマンデザインシステムの視点からご紹介します。

 

【ヨガ哲学】サンスクリット語「リラ」とは”遊び”を意味している

ヨガではこの世をリラ(遊び)としています。

 

・・・・これを聞いて、しっくりこない人も多いですよね。

「いやいや、生きていくのは大変だ。とても遊びでなんて生きていけない。」

と。

 

それは遊び場として生きるには条件があるからなんです。

 

その条件が

ありのままの自分を生きている事。

なんです。

 

逆に、

エゴ=自我に支配され、魂=無我・真我(ありのまま)の視点を失っている間は

この世は苦しみの場となる。

と、されています。

【ヒューマンデザインシステム】自分の本質エネルギーが動いたら楽しい・ワクワク・前のめり・充実などの「快」の感覚を得る

ヒューマンデザインシステムでは自分本来のエネルギーが動く時には「快」の感覚を体感し、

外的エネルギーや外的環境に振り回されている時や、思考で自分自身を制限してしまっている時には「不快」の感覚、プレッシャー、フラストレーション、怒りなどを感じるとされています。

(※ 一部例外あり。例外は別の機会に。)

 

それはまさに、

ありのままの自分=自分の本質エネルギーで生きている時は楽しく、

自分の本質を見失っている時は苦しみに満たされることになります

 

自分の本質エネルギーの表現が他者貢献=仕事になる

そして自分の内側にあるエネルギーに従うことは

地球全体・宇宙全体のエネルギー性質の一部を担うことになります。

 

私たちは世の中に存在するエネルギーの種類の一部分を

自分の才能として持って生まれます。

 

だから、

自分の本分を守り表現することが、無意識のうちに全体の調和の中の

重要な一部分としての役割を果たしている。

ということになっているのです。

 

これは例えるなら、

日曜大工で本棚を作る時の

ドライバーやトンカチと同じことです。

それぞれ形や特性が違うからこそ上手くいく。

釘を打つなら、トンカチだからスムーズに打つことが出来るし、

ネジを止めるならドライバーが必要です。

 

それぞれの機能を適材適所で使い分け、

道具の特性を活かして使用するから立派な本棚が出来上がるのです。

Yasueの考える”仕事=自己表現=他者貢献”

私の考える仕事とは、自分本来のエネルギー(個性・本質・才能)の表現手段だと考えています。

そして自分本来のエネルギー表現は、宇宙全体のエネルギー性質の一部を担っている。

全体が良くなるための・調和するための重要な役割を果たしています。

あなたが自分の本質エネルギーを表現し、

存在している事が他者貢献そのものです。

 

 

ただし、ここでも条件があって・・・

エゴ=自我に支配され、魂=無我=真我の視点を見失っていると

自分本来のエネルギーは表現されることはありません。

 

エゴ=自我の視点での仕事とは

自分の労働時間や労働量への対価を求め働きます。

・私は〇時間も働いた!

・私はこんなに辛い〇〇の仕事をした!

・私は努力した!

自分は頑張ったから報酬をくれーい!

って感じ。(自分視点)

 

魂=無我=真我の視点での仕事とは

自分自身の価値でどれだけの貢献ができたか?

あなたのエネルギー表現(自己表現)で

どれだけ周りにエネルギーを起こせたのか?

への対価になります。

・他者がどれだけ喜んだ・楽しんだ・熱くなった、などの変化をしたか?

・他者がどれだけ生活・考え方・環境、などの変化があったか?

・他者がどれだけあなたのエネルギーに触れて変化したのか?

って感じです。

(※自己犠牲ではなく自己表現による、他者の変化に対する報酬)

 

自分がどれだけ残業をして頑張った。とか

自分がどんな役職についているか。とか

自分がどのくらいの期間勤め上げてきたか。とか

”そんなの関係ねー”って感じです。

 

自分がどうなのかではなく、

自分の価値で相手にどれだけ貢献できたのか?

価値提供できたか?

エネルギー循環を起こせたか?

 

になります。

 

誤解しないで!大切なポイント!自己犠牲の他者貢献ではなく自己表現での他者貢献

 

他者貢献という言葉を使うと

自分のことを後回しにして他者のために尽くすことだと勘違いされがちですが

決してそうではありません。

 

日本人は我慢を美徳だと思っているところがあるので

何の疑いもなく自己犠牲をしてまで他者を優先してしまいます。

 

あくまであなた本来のエネルギー表現の結果としての他社貢献であってください。

 

あなた本来のエネルギーを表現しているときは

「快」のエネルギーが動いているので楽しい・ワクワク・充実しているという体感を得ている時です。

 

その時には仕事を”させられている”という意識はないでしょう。

自ら望んでやりたいことをやっているだけです。

 

仕事が楽しくて仕方なれば、もはや遊びと同じじゃね?

仕事をしている時間が楽しければ、

自己表現による仕事で充実感に満たされていれば、

自分の中にある情熱や好奇心を満たすことで他者貢献に繋がるなら、

 

もはやこの世は遊び場です。

 

そんな仕事を見つけ出して、

あなたもこの世を遊び倒しませんか?

 

まとめ
あなたの大切なもの・喜びを感じること・モチベーションが湧いてくる「快」を感じるものにエネルギーを注ぐことがあなた自身と世の中を幸せにするのだ!